こいのおはなし その2

こんにちわ。メルテルです。
鯉というと、「まな板の上の鯉」などと、潔さを表わすイメージがあります。
昔の人は、潔いことが美しいと考えていたようですね。
でも、鯉の立場になって考えたら、本当にマナ板の上に乗せられて、諦めて静かになっているのかな?
井の頭公園のお池の鯉の顔を眺めていると、往生際がよいとか潔いのがカッコイイとは思ってないように思えました。
諦めが悪くて、どこがいけないんだと。
自分の価値観で、勝手に相手をこうだと決め付けるのが人間なんだと語りかけてた(と私も決め付けた)のです。
カッコ悪くても、生きることへのネバリが大切なんじゃないでしょうか?

今日のダイアログ『こいのおはなし2』
すのーまん「鯉の話の続きなんだけどね。俎上の鯉って言葉があるよね。」
だるまん「俎ってのはマナ板のことだから、マナ板の上の鯉ってやつだな。」「鯉は、マナ板の上に乗せられると、料理されることを知ってジタバタ暴れなくなるって言われてるんだ。潔い気持ちであるという、感心をこめた言葉なんだな。」
あくまん「往生際がいいってわけね〜。諦めが早いとも言えちゃったりして。」
鯉「な〜に勝手なこと言ってんだ〜!ジタバタしないと潔いって、勝手に決めるなよ!潔いのがカッコイイって、誰が決めたんだよ!こっちの気持ちも考えないでっ!」
鯉仙人「わたくし鯉としては、あのようにマナ板の上に乗せられても最後まで暴れる。つまり生きることへのネバリが大切だと思う!」
あくまん「しつこい性格なのね。」

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