作者より・・・(19)
近頃は、世界中で改めて「民主化」に衆目が集まってますね。専政国家(つまり専制政治の国)が、多くの民衆によって民主政に移行したり、我が国でも、何かというと政治家やマスコミが「民意」や「民衆の支持率(賛意?)」を口にします。
ところで、いまだに第二次世界大戦の戦勝5ヵ国が常任理事である国際連合は別にして、日本の国政制度ってのは、国民は結果的には政党を選挙するわけで、首相や内閣を選ぶ権利は無いのですよ。それなのに「民主主義が…」「民意が…」「内閣支持率が…」と騒ぐ人達のセンスには疑問を感じるんですなぁ。
しかも、国会にしても、どこの自治体の会議にしても、ものごとはみ〜んな「多数決」で決まる。「多数決=民主主義」というのが、小学校から教えられ一般的な常識つまり社会概念になっているわけです。
で、これって、何かヘンだと思うんですね、私は。
「民主主義」ってのは、ものごとを決める目的が「民」のためであるという考え方であって、ものごとを決めるのが「民」であることではないように、私は考えてるんです。
昔から「烏合の衆」なる言葉がありますし、「民主主義」の大先輩の古代ギリシャも偉大な哲学者が大勢いたのに(?)「衆愚政治」で終わりました。そもそも成熟社会の民衆というのは、先端的(開明的)なのが1〜5%、保守的(ことなかれ的)なのが60%、無関心あるいはアナーキーなのが35〜40%で構成されている感じですから、多数決では「現状維持」「ことなかれ」『寄らば大樹」的な結論しか出てこない場合が多いのではないでしょうか?
一方、世の中は常に改革・革新が求められ、これが停滞すると景気が悪くなり社会環境が悪化したり、政治や国体が老朽化し衰退します。
ですから、ものごとの方向を考え、決めるのは「多数決」がベストな方法とは思えないんですよ。
また、米国では「ディベート」を教育段階から習慣にして、何ごとも議論するスタイルを求めているけど、これも問題提起や視野を広げるには効果があるにしても、方向性とか解決策の決定には余り効果的ではないように感じます。
それじゃあ、先端的(開明的)リーダーに一任すれば良いかというと、吉田茂や田中角栄、あるいは本田宗一郎や松下幸之助のような人材がいるのは奇跡ですからね〜。
そこで、「だるまん & すのーまん」の議会では、ものごとの方向や解決策はコンピューターが決定し、議員はこの決定のためのパラメーター(決定のための条件・引数)を揃えるという制度を採ってるんですが、どうですかね?このやり方は〜〜。
2012.1.10
<< まえへ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 つぎへ >>
