作者より・・・(12)
十人十色とか、人それぞれって言いますが、ほんとうに人間ってのは一人ひとりが違うんですね。 これでよく社会が成り立つものだと、ときどき不思議な感じがします。
それで、私は街の人通りの多いところに佇んで(けっこう佇むのによい場所ってのがあるんですな、街の中には。まぁ〜パリのシャンゼリゼ大通りにあるカフェテラスみたいなものってイメージですね。…おっと脱線。とにかくそのような場所から)道行くいろいろな人を観察するのが楽しみの一つなんですよ。
するってーと、いろんな人がいることを再認識できるのです!
独りでニコニコ笑いながら歩いている人がいます。この厳しい世の中なのに顔中で、体全体で笑っている姿は不思議な感じ。そうかと思うと、昼間から泣きながら歩いてる若い女性とか。。。
携帯電話で話しながらとか、メールを見ながら書きながら、歩いてる人は当たり前になってしまいましたが、反対に当たり前とは程遠い異常な人も多々発見できて、これも面白いもんです。 例えば、「威張る」という言葉がありますが、「おお!これがあの『威張る』という行為か」と実感できるように只管(ひたすら)威張っている人がいます。
まあ、言葉では具体的に表わせないほどに、もう威張り散らすんですな。ええ、酔っ払いに多いですが、しらふで昼間っから大威張りしてる人って、他人事ながら心配になるじゃありませんか。 はたまた、珍しい人としては「手鼻」をブシっとかむのに失敗して(?)手にベットリ付いた鼻汁を道端のガードレールなどに擦り付けながら歩くのもいます。あと、必ずこのガードレールとか電信柱とか道端にあるものを次から次へ撫でながら歩く人もいるんですね〜。 ほんと人それぞれですわ〜。
これが、それぞれの外からの情報の感じ方、ものの考え方、考えとか判断となったら、もう同じであるはずがないと断言できちゃうと思います。
その一方で、近頃は、自分と違う考えや意見に対し「それ上から目線」とか言うのが流行ったり、「そう言うオマエが上から目線」とか言ってやり返す2チャン流も増加中とか。
されど世界は一つ。生活の場である社会は一つ。ですから、大勢の人がそれぞれ勝手気ままに自分流を押し通すのでは混乱しか生まれません。自分流は一人だけのときに限定して、誰か周りに現われたら、その相手と調和をはかる、相手を思いやるという気持ちが必要不可欠だと、私は街角に佇んでつくづく思うこのごろです。
2010.03.20
